かか日誌

地方で働きつつ、親しつつ、考えたことのメモ

空気を読んだらいいことがあるのかわからない

自分は幼少期から空気読めないと言われてきているので、まあそういう類のことは苦手なのだろうと思う。

 

ただ、より正確に言うと、明確に言われていないことをわざわざ読まないようにしている、のだと思う。

 

もう、歳をとって「空気を読め」と叱られることもなくなったが、今でも、空気を読めだの、KY(これは流石に死語か)とかよく言われているのだろうか。

 

他人に何かお願いしたければ、はっきりと「お願いします」「困っているので助けて欲しい」「ここではこれがルールです」など言い合う世界が理想だと思っている。

 

あと、お願いされた側には断る権利があり、交渉決裂により関係性を維持できないなら関係を切れるようにするのが理想的(仕事をクビにしたり、離婚したり)

 

 

空気を読まなければいけない場面で特に辛いのが、察して欲しい側の人がイライラと不機嫌な時。

 

不機嫌な人には近づきたくないが、察してさんは放置しているとさらに不機嫌になる。

不機嫌を撒き散らすのやめて欲しい。

 

それで、自分の方が得意なことなどであれば代行するのは全然かまわないのだが、はっきり依頼される前にこちらが世話を焼くと、たいていそれを自分がするのが当たり前になり感謝されないのだ。

 

いや、感謝されたいというわけでもないな。いつ何時でも、雑務はあいつに投げればOKと済まされるのが嫌なんだ。私には他にやりたいことがたくさんあるんだぞ。自分の時間を浪費されるのが嫌なんだよ。しかも不機嫌に。

 

 

空気をすぐに読んで動ける人は素晴らしいと思うけど、それが過剰だと相手を甘やかすことにならないのかな。

なんでも世話を焼いてあげる親と、依存気質で常にイライラした子ども、みたいな関係は親子以外でもたくさんありそう。そしてそれは両方にとって不幸なんじゃないのか。

 

自分は誰ともそういう関係になりたくないんだけど、なかなか難しい。